近江牛とは「おうみぎゅう」と読み、但馬牛を素牛として滋賀県で飼育されているブランド牛になります。
日本では最も歴史のある牛で、日本三大和牛の1つとしてブランド牛代表格にあげられます。
肉質はきめが細かく、味わいは脂、肉そのものがあっさりとしているにもかかわらず、肉のみずみずしさから口の中で肉汁が滴り落ち、ほのかな香りが食欲を促します。
かの豊臣秀吉がこよなく愛した史実からあるように、歴史の偉人たちに評価されていることから美味しさの秘密は飼育の環境によるものと言われています。
- 近江牛とは一体何か?近江牛の400年の歴史から美味しさの秘密を知ることができます。
- 近江牛が何故、有名なのかは歴史の史実からわかります。
- 近江牛のおすすめのお店をご紹介。
近江牛(おうみぎゅう)の発祥は豊臣秀吉が絡む|生産地は滋賀県東部地方
日本の三大和牛の一つ、近江牛は秀吉の時代から愛されてきた史実は、もっとも歴史があるといっても過言ではありません。
秀吉・徳川将軍家に愛されていた近江牛
1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原攻略の折、高山右近が牛肉を蒲生氏郷と細川忠興に振る舞ったことから近江牛の歴史がはじまります。
「反本丸」と称された牛肉の味噌漬けは1687年彦根藩において花木伝右衛門が、明の李時珍の著書「本草綱目」を参考に牛肉の味噌漬けを考案し、「反本丸(へんぽんがん)」と名付けたと伝えられています。
「本草綱目」は慶長年間に明より伝えられた書物で、その中に「黄牛の肉は佳良にして甘味無毒、中を安んじ気を益し,脾胃を養い腰脚を補益す」との記述があることから、反本丸は補養薬として製したものと考えられます。
当時、公然と牛肉を食べることができなかったので、薬という名目を使ったのかもしれません。
また、養生薬」として干した肉に加工されたものを徳川将軍家に献上されています。
スポンサーリンク
近江牛とは
明治2年頃から滋賀県内から陸路で17~18日間を要し横浜まで牛を追い、外国人との直接取引が始まり明治12年には竹中久次が東京に進出し、牛肉卸売小売業「米久」を開業。
後に神戸港から東京へ海運にて東京に進出します。その後、四日市港からの海運もはじまります。
このような発展を遂げた近江牛ですが、かの有名な神戸ビーフは神戸産の牛ではなく、輸送のために神戸港に運ばれてきた近江牛(または但馬牛)を在留外国人が名付けたともいわれます。
明治23年には、東海道本線開通により八幡駅より牛の輸送が始まります。
明治40年に近江牛育ての親の西居庄蔵翁が蒲生郡牛馬商組合を設立。
大正3年には、東京上野公園で全国家畜博覧会開催、蒲生郡の牛が優等1位となり知名度が大きく広がります。
昭和29年頃に日本橋・白木屋で近江牛の大宣伝会が開催され、近江牛が大きな発展を遂げます。
しかしながら、定義の一つであった「滋賀県産」を満たすのに必要な期間の基準が無かったため、県外産の牛を一晩県内に置いて翌日に市場に出しても「近江牛」と呼称できた。
しかし、2005年(平成17年)に牛の肥育履歴偽装事件で近江肉牛協会の幹部が逮捕されたのを機に、同年12月に「滋賀県産」とみなす基準を含めた近江牛の定義が決められました。
これらのことから平成19年から平成20年には、認証制度が開始され安心が担保されるようになりました。
この古い歴史の中、近江牛として全国では有名にはなりましたが、生産されている地域の滋賀県(滋賀県東部)の蒲生・神崎・愛知の各郡(現在の近江八幡市、東近江市、竜王町など)において生産されてきました。
これらの一帯は米の生産やその他の農業も盛んな地域で、牛を肥育するための飼料と気候に恵まれたためともいわれています。
また、松阪牛の歴史においても但馬の牛の品質や味に関して非常にすぐれているのです。
近江牛とは、そもそも但馬牛をもともと飼養しており、日本の三大和牛の近江、松阪、神戸牛の素牛になっております。
近江牛の規格基準
近江牛の認定される要件とはいったなにか?
近江牛といっても自己申告で名乗ることはできません。
決められた規格によって近江牛と名乗ってよいことになっています。
スポンサーリンク
近江牛認証要件
- 「近江牛」の中でも、枝肉格付がA4、B4等級以上のもの
- 協議会の構成団体の会員が生産したもの
- 滋賀食肉センターまたは東京都立芝浦と畜場でと畜・枝肉格付されたもの
定義
(品種)黒毛和種
- 現在は但馬牛を素牛としなくともよい。
- (地理的表示)JAS法に定める原産地表示が「滋賀県産」と表示できるもの
- 滋賀県内でもっとも長く飼育されたもの。
日本食肉格付協会の格付けに基いた定義がないため、上記の2つを満たせばどの肉質等級および歩留等級であっても近江牛と呼称できる。
なお、A-4、B-4以上の格付けの枝肉には認定書や認証シールが発行される。
近江牛は熟成肉としても扱われるが熟成方法とは!?
一般的にでまわっている熟成肉は長期間おいた牛肉はうまくなるとあるが、これは低温で長時間おくと原料肉中の酵素類や微生物の作用になります。
たんぱく質や脂肪の一部が分解されて、風味に関連するアミノ酸、有機酸などの多くの物質が生成されます。
よって香ばしい香りや味に深みを感じるようになりますが、現在の熟成方法にはウェットエージングかドライエージングの方法が取り入れられています。
ウェットエージングとは、真空包装にて低温管理し長期間保存し熟成させる方法で、ドライエージングとは、ドリップキーパーなどの水分を吸収をするものをまきながら直接冷蔵にて長期間保存する方法です。
それぞれの保存方法と期間において温度帯、期間、湿度、畜種よって違いはありますが、基本的には1℃~4℃で15日から35日間するお店が多いようです。
熟成肉にはまだまだこれからの発展の可能性があり、それぞれが技術の向上へと日夜励んでおり、その味わいは今後も大きな期待をよせています。
まとめ
近江牛とは、古い歴史があり時代の権力者が愛してやまない味わいがありました。
またその歴史のなかで、食肉の加工技術を日々邁進させ干し肉や味噌漬けなど長期保存の可能な食品が生まれました。
日々の研鑽の中でうまれた牛肉は、遠い昔から今でも伝え広がり今でも人々が大切に守っています。
その時代で、伝統ある近江の風土の中で育まれたのが「近江商人」です。
近江商人とは近江に本宅を構え、日本各地で商売をした人々のこと。
江戸時代から明治時代にかけての約300年間、その地 道な活動によって日本の商業を根本から支えました。
「近江泥棒」とか「近江商人の通った後には草も生えない」などと悪口めいた言葉も残る近江商人ですが、それは裏を返せば、同業者がそんなふうに言いたくなるほど、巧みな商法とずば抜けた商品開発力で多くの人に喜ばれる商品を提供したということになります。
堅実・勤勉・質素倹約・信用第一を基本とする一方、無償で橋をかけたり、学校を建てたりと、利益の社会還元を進んで行うなど、知れば知るほど経済人としての素顔が明らかになってきます。
この姿勢が近江牛として『日本の代表格』としてあらわれているのではないでしょうか。
また、現代においてもエイジングの技術は、時代の流れとともに取り上げていますが、その技法は古来からずっとあり続けるものであり、何世代にもわたって先人たちが培ってきました。
今私がいる食肉の卸においても大正の初期から創業しておりましたが、その頃の日本は戦争が絶えない状況でした。
初代の二代の先人たちは、この戦時中に食料の保存のきかない時代に、そして、兵隊達が携帯して保存期間や栄養価の高い食料品をいかにしてつくりだしていけるのかが課題でありましたが、このときにようやくできたのがサラミなどの加工食品でした。
今では、非常に豊かな日本ではありますが、どこの地域でも先人たちの智慧は息づいています。
その智慧はいつまでも大切にしていきたいと思います。
コメント
コメント一覧 (2件)
[…] 【近江牛】の【和牛】とは? […]
[…] 【近江牛】の【和牛】とは? […]